創設の経緯
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長野県上伊那広域水道用水企業団創設の経緯


1 創設期の地域概況


  当上伊那地域は長野県の南部に位置し、諏訪湖を源流とする天竜川の流域に沿って南北
 に展開する標高600m〜900mの河岸段丘に発達した渓谷盆地である。東に赤石山脈
 西に木曽山脈の3,000m級の連峰が連なり、古くは東山道による往還、近世は三州街
 道から国道153号線へ、また国鉄飯田線の開通、さらに近年の中央自動車道の開通によ
 り首都圏、中京、近畿圏との経済交流が著しきなり、産業も古くからの農産業に加え、電
 気、精密工業の飛躍的発展が続いてきている。

  

 新規ダム計画と広域水道構想

 

当地域の水道水源はその70%近くを地下水、湧水に求めてきたが、管内各市町村とも
生産活動の増大、人口の増加、生活水準と水道普及率の向上等による今後の水需要に対処
する安定的な新しい水源の開発が課題となってきた。

また、昭和47年に上伊那地域への新規ダムの建設計画が浮上し、当地域ではこれを機
に、ダムに水源を求める広域水道構想の検討が始められた、新規ダムは、上伊那郡箕輪町
の1級河川沢川の県営ダム計画で、上伊那地域では天竜川の治水について、古来共通した
悩みを抱えてきており、新規ダムの建設促進運動を強力に展開した。その結果昭和49年
に実施計画調査の採択となった。

長野県では、このダムを「洪水調節」「沢川の正常機能維持」に「上水道用水」を加え
た多目的ダムの計画として、「上水道用水」の受水について上伊那の市町村へ呼び掛けが
なされた。しかし、昭和49年当時は、第一次オイルショックに直面し、低経済成長へと
移行の時であり、水需要も急下降していたため広域水道構想も影をひそめ、長尾県の多目
的ダムとすることによる早期建設採択の見込みとは逆に、市町村の水道得用水のダム参加
は、困難な状況であった。

 

3 水道用水供給事業の検討

 

治水と水源開発としての沢川の多目的ダムの建設を推進する長野県は、昭和52年に
「上伊那地域広域水道基礎調査」を行い、同地域の将来の水需要を考察するとともに、
ダムによる水道水源の確保について、1日最大5万立方メートルの取水を可能とする貯
水容量で、水道用水供給区域を上伊那10市町村のうち、伊那市、駒ヶ根市、箕輪町、
    南箕輪村、宮田村の5市町村とする基礎資料を作成し、調査結果に基づき5市
町村に対し、ダム参加への意志の確認が繰り返し行われた。これに対し5市町村では、
将来の水源確保の検討が慎重に行われ、県営の水道用水供給事業からの受水として、長
野県に「県営事業」とすることを要請した。これを期して長野県は、昭和53年にダム
を根幹とする「沢川総合開発事業計画」を策定した。県営の水道用水供給事業の要請を
受けた長野県は、受水時点での受水事情の変化等による経営困難を理由に、県と5市町
村で「上伊那地域広域水道研究協議会」を設置して協議を重ね、昭和54年4月受水市
町村に長野県も参加した6団体による「水道用水供給事業の共同事務処理」を行う一部
事務組合(企業団)を設置する合意がなされた。

 

4 企業団の設置と水道用水供給事業の発足
 

(1)企業団の設置
 
     昭和49年度からの実施計画調査を続けてきたダムは、昭和55年度に建設採択の見
  通しとなったので、昭和54年度中に企業団の設立準備と、水道用水供給事業の計画策
  定について、研究協議会の決定により、準備事務局を長野県衛生部(環境水道課)に置
  いた。準備は「上伊那地域広域水道推進協議会」を設置して、県職員2人、5市町村1
  人の3人があたった。当時都道府県と、市町村とによる水道用水企業団は、全国にも数
  例しかなく、自治省行政局の指導のもとに、先行の千葉県(君津広域水道企業団)、静
  岡県「静岡県大川広域水道用水企業団」の事例を参考として準備を進め、昭和55年4
  月1日自治大臣の許可を得て「長野県上伊那広域水道用水企業団」が設置された。企業
  長は構成団体の長の互選とし、現在まで伊那市長が兼任している。

   また、企業団議会は、議員を構成団体の長と議会代表とし、定数は13人で、3月と
  10月を定例会としている。
   なお、企業団の職員は、建設期間中は主として構成団体からの派遣職員を充て、県と
  5市町村でおよそ半数ずつとしている。
 
   

(2)水道用水供給事業の発足
 

県下の水道の計画的な整備を推進する長野県は、県内を9圏域に区分し、圏域ごとに
広域的な水道整備計画を明らかにするため、水道整備基本構想を樹立し、構想に基づき初
年度(昭和54年度)に、上伊那圏域広域水道計画を策定した。当企業団はこの整備計画
に沿って、ダムから1日最大5万立方メートル取水し、5市町村へ水道用水を供給する
「上伊那水道用水供給事業」の経営計画を固め、昭和55年9月1日厚生大臣の許可を得
て事業が発足した。


 

5 上伊那水道用水供給事業の概要

 

本事業は、計画目標年次を昭和70年度とし、原水をダム直接取水方式で、浄水場へ自然流下で導水し、1日最大46,500立方メートルの水道用水を、主として自然流下で5市町村の受水池(配水池)へ送水するもので、施設の建設(水源ダムを含めて)昭和55年度から昭和65年度までとし、供給開始を昭和66年4月とするものである。


(1)5市町村の各給水人口・給水量・供給水量

     

市町村

昭和63年現在

昭和70年計画

給水人口
     
(人)

給 水 量
 
m3/日)

給水人口
     
(人)

給 水 量
 
m3/日)

左の内訳

自己水源

供給水源

伊 那 市

60,307

33,743

62,330

40,500

16,800

23,700

駒ヶ根市

29,613

15,063

33,570

21,800

13,200

8,600

箕 輪 町

20,973

8,725

25,900

11,600

3,500

8,100

南箕輪村

8,155

4,444

12,080

6,300

1,800

4,500

宮 田 村

7,937

3,820

8,670

4,900

3,300

1,600

合   計

126,985

65,795

142,550

85,100

38,600

46,500


 

  (2)水道用水の供給
 

  本事業の大きな効果として@標高の高い地帯での取水、A自然流下による供給が
 見込める。
原水はダムから取水し、自然流下で天竜川を横断して、箕輪町の西山沿い
 の標高809mの着水井へ導水し、浄化した水道用水は標高803mの浄化池から
 送水する。大半は自然流下で送水し、一部標高の高い地帯へはポンプ圧送により、
 4基の調整槽を経て、5市町村の18ヶ所の配水池で計量を行い供給する。